終わったはずの東京オリンピックの話題が再燃しています。
といっても、もちろん試合結果ではなく、汚職問題(収賄容疑)で。
この問題の中心にいるのが、東京オリンピック・パラリンピック組織委員会の高橋治之元理事。
事件の経緯を見ていくと、事実なのかどうかはこれから明らかになっていくと思われますが、その内容はけっこう真っ黒・・・。
やはり、ビジネスが絡むと、キレイごとではいかないようです。
この記事では、「高橋治之元理事の経歴と学歴は?電通OBスポーツビジネス界のドン!」と題して、
そんな事件の渦中にいる高橋治之元理事の、
・高橋治之元理事の経歴
・高橋治之元理事の学歴
これらについて、調べたことをまとめていきたいと思います。
高橋治之元理事の経歴
高橋治之元理事の経歴を時系列にみていきましょう。
1967年4月 – 電通入社
1993年1月 – 東京本社ISL事業局長
1997年1月 – 総本社プロジェクト21室長
2000年7月 – 国際本部海外プロジェクト・メディア局長
2001年6月 – 常務執行役員
2003年6月 – 上席常務執行役員
2004年6月 – 常務取締役
2007年6月 – 専務取締役
2009年6月 – 電通顧問就任
2011年 ‐ 電通顧問退任
2011年 ‐ ㈱コモンズ設立&代表取締役
2020年12月 – eSports企業顧問就任
1967年に電通に入社した高橋治之元理事
電通は日本の広告代理店。
その規模は国内最大であり、世界から見れば第5位!
国内2位の博報堂の約4倍のシェアがある大企業です。
電通時代の高橋治之元理事は、
・国際サッカー連盟(FIFA)会長と親密な関係を築き、Jリーグの創設から、2002年日韓ワールドカップにも深く関わる。
・サッカーの王様”ペレを高橋治之さんの弟治則のプライベートジェットで日本に連れてきて、軽井沢で当時の首相中曽根康弘とテニスさせた。
・元皇族の竹田恒治氏と同級生で、その弟である日本オリンピック委員会(JOC)会長竹田恆和氏とも関わり。
・・・このように高橋治之元理事はスポーツ界に国際的な人脈を持つ人物で、オリンピック関係だけでなく、サッカーなどその他のスポーツ界と幅広い。
・1980年のモスクワ五輪では、選手の強化資金を集める為に仕掛けたキャンペーン『がんばれ!ニッポン!キャンペーン』を主導して、協賛金を集め、いつも資金不足だったJOCを助けました。
・1984年ロス五輪では、高橋治之元理事は当時のオリンピック組織委員長に大口のスポンサーとして、富士フィルムを紹介しました。
➡それまで、名誉が先行し、赤字が続いていたオリンピックをロス五輪では黒字化に導いた立役者として、
高橋治之元理事はスポーツ界の重要機関・重要人物と関係を深めていきました。
電通時代の多大な、という言葉だけでは表せられない実績がある高橋治之元理事ですが、
電通を退任してからも「電通OB」だから、というわけではなく、これまでの実績から積み重ねた信頼により、高橋治之元理事個人の力が絶大でした。
報道では、森元首相や竹田元JOC前会長と比較にならないくらいの影響力と言われるから、驚き。
ほんとにやり手な方で、それの役割がこれまでどの人にもとってかわられることなく、過ごされてきたのですね。
高橋治之元理事の学歴は?
東京都生まれの高橋治之元理事の学歴は、、、
・慶應義塾幼稚舎
・慶應義塾高校
・慶應義塾大学法学部卒業
その後、電通入社となりました。
スポーツビジネス界のドン!
高橋治之元理事は、電通に入社される前はどのような学歴を歩んで来れられたのか、調べてみました。
なんとオール慶應義塾育ちでした!!!
絶対、お坊ちゃまですよね。
調べてみると、高橋治之元理事のお父様は、全国朝日放送(朝日新聞)や日本教育テレビ(テレビ朝日)などで取締役を務めた方でした!
まとめ
超やり手の電通OBで、スポーツビジネス界のドン!
国が絡む大きなイベントって、
だいたいイベント終了してしばらくすると、賄賂だ、便宜をはかっただ、と話題になってるような気がしてなりませんね。
「高橋治之元理事の経歴と学歴は?電通OBスポーツビジネス界のドン!」
最後までご覧いただきありがとうございました。