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たつき諒の年齢や経歴プロフ|新たに公開された夢の内容を紹介!

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漫画「私の見た未来」の作者のたつき諒さん。

この漫画「私の見た未来」が「幻の予言漫画」として、「週刊さんまとマツコ」や「奇跡体験!アンビリバボー」などのテレビ番組で特集され、インターネット上でも大きな話題になっています。

1999年に漫画家を引退されても、

なお注目され続けているたつき諒さんがどんな人なのか?

『年齢・プロフィール・経歴』を調べてまとめました。

また、2022年4月7日フジテレビ系「アンビリバボー」でたつき諒さんが特集された際に、おそらく「私の見た未来」や「私の見た未来 完全版」にも載っていない新しい夢・予言のエピソードがあったので、紹介させてください!

たつき諒予言一覧ネタバレ|15個の予言内容を解説!2025年7月に大災害!?

たつき諒さんが注目される理由はこちらを読んでいただくと分かると思います

最後までお付き合いいただけると嬉しいです。

ではいってみましょう。

たつき諒の年齢・経歴プロフィールは?

たつき諒さんの年齢は67歳です。

たつき諒さんのプロフィールも確認していきましょう。

ペンネーム:たつき諒、竜樹諒
性別:女性
生年月日:1954年12月2日(67歳)
出身:神奈川県横浜市
高校:横浜市立横浜商業高校
血液型:O
職業:漫画家(1999年引退)
漫画家としての活動期間:1975年~1999年、2021年

♦たつき諒さんは1954年横浜市で生まれ、現在も横浜市に住んでます。

♦ペンネームから男性を想像されますが、女性の漫画家さんでした。

中学1年生の頃、歌手に憧れ東京神田の歌謡アカデミーに通ってみましたが、「裏声の方がキレイ」と評価されたこともあり、3カ月で歌手になることは諦めました。

ニュアンスがきっと良い意味で言われてないと感じられたんでしょう。

テレビ出演した際の67歳のたつき諒さんの声は可愛らしい感じの声でした。

中学2年生には、タレントになるために、東京にある「東京宝映他蓮度芸術学校」へ入学するも、周囲の熱いいに圧倒され、温度差についていけず、3カ月で退学。

フィギアスケートも習っていたとのことで、「絶対お金に余裕がある家庭で育った」のではにかなと感じられます。

横浜商業高校ではテニス部に所属し、部長も任されるしっかり者。

高校2年生の時に交通事故に遭ったことをキッカケに将来のことを真剣に考え始めます。

卒業後の仕事に「家でできて、生きた証を残せ、顔を出さずに済む仕事」がいいなと感じていたところ、

兄が買ってきた「漫画入門」の本を見て、自己流でイラストや漫画を描く練習をし、漫画家を目指すようになります。

高校卒業後、出版社への作品持ち込みを始め、漫画家のアシスタントとして日々をこなしていく中で、その後白泉社の『花とゆめ』で受賞が決まりました。

しかし、秋田書店の編集者からもスカウトされており、

1975年、たつき諒さん20歳の時、

『月刊プリンセス』7月号に掲載された読み切り『郷ひろみ物語』で漫画家としてデビュー!

♦1978年あたりから、睡眠中の夢の内容をメモ用紙に記録し始め、

1985年から一冊のノートに夢日記絵と文章で描き記すようになります。

♦1982年、なんと公式ファンクラブが発足し、クラブ会報誌『クラッシュ』を創刊。

1998年9月、作品『白い手』の発表を最後に「充電期間」を名目に休業。

1999年7月、「私が見た未来」を出版。

♦1999年、漫画家としての才能の限界、体力的にも限界を感じ、漫画家を引退。

♦その後は一般の会社や医療事務など普通の職業をして、普通の一般人としての生活を営んできました。

♦2021年、「私の見た未来 完全版」を発売しました。

活動を再開したと捉えていいのかわかりませんが、完全版には新しい夢の話(予言)を追加しています。

新たに公開された夢・予言の内容

2022年4月7日フジテレビ系「アンビリバボー」にて、たつき諒さんの人生と「私の見た未来」の内容について特集されます。

そのテレビ放送内で、15個の予言(夢日記の内容)以外の内容があったので、紹介させていただきます。

 

2001年12月25日たつき諒さんは夢を見ました。

宇宙から地球を見ていて、インドネシアあたりから波動が広がっている。

地球の波動が地球全体に広がる。

そんなイメージの夢を見ました。

それから3年後の2004年12月26日

インドネシアでスマトラ島沖地震が発生し、多くの被害がでました。

夢には続きがあり

波動があった地球(インドネシア)の真裏(アメリカメキシコ付近)でも波動が広がっていく

という夢でした。

2005年8月
スマトラ島沖地震から約半年後

たつき諒さんはアメリカ南部を襲った大型ハリケーンカトリーナの衛星写真を新聞で見た。

夢で見たイメージを記した夢日記と同じような衛星写真。

たつき諒さんは新聞記事の衛星写真を見た瞬間、夢と同じだということに気付きます。

アンビリバボー番組内で

『偶然はこの世にはないって誰かが言っていた気がしたので、じゃあそういうメッセージなのかなと疑問符がずっとついている感じです。』

と語り、別のシーンで

『話題作りや不安を感じさせるために意図したものではない』

とも訴え、メッセージを受け取ったたつき諒さんが、これまでの経験から「多くの人に知ってもらいたい」との想いからの行動なんでしょう。

それでも、たつき諒さんの夢の話は、ゾクゾクと身体が震えるような気持ちになりますね。

いつから夢を見るようになったのか?

20歳で少女漫画家デビューした頃から、今までの夢とは違う夢を見るようになります。

普通の夢とは違い、目覚めても鮮明な写真みたいにはっきり見えて、あったこともない人なのにやたら顔をはっきりと覚えている

漫画家デビューをしたころから、アイデアが浮かんだらメモができるよう常に、寝る時も筆記用具を近くに置いていました。

鮮明な夢を見るようになってから、夢が気になり、印象的な夢をメモに残すようになります。

それが習慣となり、31歳の頃にはノートに夢日記として、記憶が鮮明なうちに起きてすぐ2,3分でパッと描くように。

それは予知夢なのか?

たつき諒さんは、予知夢ではなく、このように捉えています。

予知夢っていうのはそのままのものを夢見る、私のは一度もそういう夢を見たことがないだから予知は見たことないと思います。

夢で見た内容がそのままの形で現実になるのではなくイメージを見させられる・見る形

そのイメージと現実が重なる場面に出会うそうです。

同じ場所じゃないけど作りがすごく似ていて、なぜか見たときに夢と同じということがわかってしまうってどれだけ夢が鮮明なんでしょう!?

何年も前の夢、多くの人は覚えていないこと思い出せないことの方が多いと思いませんか?

 

度重なる経験から「何かしらのメッセージがあると思うようになった」たつき諒さん。

「アンビリバボー」の番組内で、

「たつき諒さんは予言者ですか?」との問いに

全然、じぶんでは思っていない、夢と現実はそのまんまじゃないですから、実感がないんですよね

また、彼女曰く、現実とリンクしない夢の方が圧倒的に多い とも説明。

夢日記1冊に8年~12年分の夢が記していて、1ヵ月に2,3個とかで頻繁に印象的な夢を見るわけではない

ということですが、

普段の夢と違う、明らかに鮮明な夢を1ヵ月に2,3個って多いのでは?と感じますが、みなさんはどうですか?

夢を全く見ない人も、毎日夢を見る人もいるので、個人差が大きいとは思いますが…。

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まとめ

たつき諒さんは現在67歳。

おそらく地元の横浜市で現在も過ごしていると思われます。

20歳頃から鮮明な夢を見るようになり、次第に夢日記を記すように。

1999年に特に印象的な夢をまとめた「私の見た未来」を出版し、漫画家を引退しています。

2021年に「私の見た未来」を加筆し再販しましたが、漫画家として活動しているというより、

東日本大震災が起こった時、『これがもっと話題になっていたら、助かる命がもっとあったのではないか?』と感じ、

『これは予言や予知だとは思っていないし、起こらないことが一番いい、災害が起きたときの備えになれば』との想いと、

世間の話題に応えて、いくつかのメディアに出演・取材に対応していただけている、と私は受け取りました。

今まで見た夢の中で現実になったものは、月に数回見る印象的な夢の内10分の一程度とかなり低いと話していましたが、「多くない?」と思ったのは私だけでしょうか。

人とは違う、これからもなんらかの形で発信していってほしいと思うのは私だけではないと思います。

『たつき諒の年齢や経歴プロフ|新たに公開された夢の内容を紹介!』

最後までご覧いただきありがとうございました。

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