今日は漫画家のたつき諒さんを紹介させていただきます。
たつき諒さんは1999年に漫画家を引退されていますが、引退前に発売した『私が見た未来』という漫画が「幻の予言漫画」として注目を集め、大きな話題になっています。
たつき諒さんが話題になったのは、
一昨年、Mr.都市伝説こと関暁夫さんが「東日本大震災を予言したスゴイ漫画がある」とテレビ番組で紹介したことや
昨年7月に放送されたTBSテレビ系「週刊さんまとマツコ」にて『予言内容の的中率がエグい』と紹介されたことがきっかけでした。
2021年6月時点では、この本が絶版になっていて、貴重な本になっているということで、定価410円の漫画が20万円以上になっていたことも!
今回はたつき諒さんの「私が見た未来」の予言内容を一覧にして一挙ネタバレ公開!
15個の予言内容を解説していきます!
また、この15個の予言内容の中にはまだ起こっていない未来!?の予言内容もあり、
その日にちが2025年7月に起こる予言内容だとか。
そこで今回は、『たつき諒予言一覧ネタバレ|15個の予言内容を解説!2025年7月に大災害!?』と題して、
・たつき諒予言一覧ネタバレ|15個の予言内容を解説!
・たつき諒予言一覧ネタバレ|2025年7月に大災害!?
について、お伝えしていきます。
たつき諒さんのこれまでの人生とアンビリバボーで紹介された新しい夢の話はこちら
2022年4月7日(木)フジテレビ系『奇跡体験!アンビリバボー』で、
「夢で見た内容と近い形で現実に起こるという、不思議な体験をした女性漫画家」として、テレビ初取材を受け、さらに大きな話題になること間違いなしです。
残念ながら、たつき諒さんのお顔は拝見できませんでしたが、「アンビリバボー」の取材内容も加味して、お伝えしますね!
では、まず、たつき諒さんが見た夢、15個の予言内容を確認してみましょう!
たつき諒予言一覧ネタバレ|15個の予言内容を解説!
たつき諒さんが1999年に発売した「私の見た未来」の予言内容を解説していきます。
『夢で見た内容と近い形で現実に体験する=夢の中で未来を見た』たつき諒さん。
この漫画はたつき諒さんが印象に残ったその夢を「夢日記」として記録し続け、その体験を基にした漫画なんだそうです!
フジテレビ系「アンビリバボー」の独占取材を受け、その内容が2022年4月7日テレビ放送されたので、その内容を加味した内容になっています。
では、まず15個中、13個の予言(予知夢)を解説していきます。
① フレディマーキュリーの死
1976年11月、「QUEENのフレディマーキュリーさんが流行病で亡くなったというニュース」を友人とみている、夢を見ます。
その10年後、
1991年11月24日、フレディマーキュリーさんはエイズによる肺炎が原因でお亡くなりになりました。
たつき諒さんはQUEENのファンだったので、この夢を見たのではないかと思われます。
② フレディマーキュリーがいないQUEEN
1986年11月28日、
夢の中で、QUEENの映画を鑑賞している。
しかしそこにフレディがおらず、他のメンバーのみ。
さらにQUEENのメンバーの銅像が出てきて、4つの銅像のうち、3つはメンバーの銅像だったが、もう一つは知らない人物。
そして、一番左には銅像が明らかに外されたようなスペースがあった
という夢を見ます。
その5年後、
1991年11月24日にフレディマーキュリーはお亡くなりに。
夢を見てから10年後、
2018年11月、フレディマーキュリーさんの生涯をモチーフにした映画「ボヘミアンラプソディ」が公開しました。
ちなみにQUEENはアダムランバートさんという新しいボーカルが加入し、活動しています。
知らない銅像はアダムランバートさんだったのでしょうか?
たつき諒さん自身は、QUEENに新しいボーカルが加入したことを知らず、知らない人物の銅像はアダムさんだったかはわかりませんでした。
③尾崎豊の死
1982年4月25日、日本人ロックスターが亡くなる夢を見ます。
その10年後、
1992年12月25日、尾崎豊さんがお亡くなりになりました。
④ダイアナ妃の死
1992年8月31日、ダイアナ妃が赤子を抱いてる写真と「ダイアナ、〇んだ」の文字がうが日上がる夢を見ます。
その5年後、
1997年8月31日、ダイアナ妃が交通事故によりお亡くなりになりました。
この内容は1997年に雑誌掲載されたので、予言と言えるのではないでしょうか?
夢の日付とダイアナ妃が亡くなった日付が一致していますね。
⑤女性が事件の被害者に
1989年8月27日、トンネルのような洞窟がある海で水色ワンピース姿の何か言いたそうな女性が経っている夢を見ます。
その1年後、
1990年8月、仕事の息抜きで今まで行ったことがなかった地元横浜市の公園を散歩していると、夢の中で見た洞窟のような大きな穴を発見し、その場所を写真撮影。
その洞窟のような穴は、『掩体壕(えんたいごう)という、戦時中に物資や人員などを敵の攻撃から守る為に作られた施設』でした。
写真撮影をした半年後の1992年1月、
あの公園の掩体壕近くで、夢で見たワンピースと似たような服装の女性が事件に巻き込まれてお亡くなりになった状態で発見されたというニュースを見ます。
そして、亡くなった方は死後半年ほど経過しているという情報も。
この夢はあまりにもショッキングで、「嫌な夢だな」と思い、夢の内容を記したノートを破り捨ててしまったそうです。
⑥阪神淡路大震災の予言
1992年1月2日、「15日後か15年後に神戸にひび割れた大地の映像と文字」の夢を見ます。
その15日後、
1995年1月17日、阪神淡路大震災が発生しました。
この内容は1999年「私の見た未来」で世に出たので、予言かどうかの検証はできないですね。
⑦親戚の葬式
1993年9月14日、
どこかの田舎の風景。道はY字路。
道端にはたくさんのびわがあり、その琵琶を家族と食べている夢を見ます。
その1年後、
1994年9月14日、山形の伯父さんが亡くなったという連絡を受け、家族で葬式に向かう道中で、夢で見た場所に似た場所に遭遇します。
違いはびわではなく、ぶどう畑だったこと。
家族でその道を通るという設定は同じ。
たつき諒さんはその場所を写真撮影。
現像した写真の日付を見たとき、夢日記と同じ日にちだったことに気付きます。
夢を見たのが、その場所にくるちょうど1年前だったということですね。
『この場所に着た瞬間に、夢のY字の形と畑と設定がすごく似ていた、私には同じだってすぐにわかった』とたつき諒さんはアンビリバボーの取材に答えています。
夢日記として、ノートに記したとは言え、1年も前の夢を思い出すってなかなかないと思います。
それだけ、夢が鮮明だったのだなと感じますね。
⑧未知のウイルス
1995年1月2日、「2020年4月をピークに10年後にまた現れるが、死者が出る重病とはならない」という夢を見ます。
そのおよそ25年後、
新型コロナウイルスが世界中に蔓延し、現在も私たちを悩ませています。
今も状況は楽観視できませんが、
2020年4月は緊急事態宣言が発令し、今よりも緊張した日々でした。
⑨赤ちゃん人質事件
1995年10月、かわいい赤ちゃんの顔の夢を見ます。
その2か月後、
1995年12月、赤ちゃんを人質にした強盗立てこもり事件が発生。
この赤ちゃんが、夢で見た赤ちゃんとそっくりなお顔だったのです。
⑩私の葬式
1995年11月26日、「7月15日、私の葬式」という夢を見ます。
たつき諒さんはご健在ですので、
この夢の予言が今後どう影響してくるのか、まだ検証はできません。
ですが、一部の解釈では、
「漫画家・たつき諒としての死」=引退
ではないかと言われています。
⑪東日本大震災
1999年、夢で未来を見る体験を漫画の単行本で出版をすることになりました。
その漫画本の表紙には、今まで見た夢の中で特に印象的だった夢をいくつか描いたのだが、
その漫画本の締切日、表紙に設けたコマの数と、書く夢の数を計算していなかった為、1コマだけ空欄で余ってしまっていました。
そこで何するか考える前に睡眠をとり、休憩することに。
そして、たつき諒さんは夢を見ます。
「大災害は2011年3月」
映画のスクリーンみたいに真っ白な中に黒い文字がブワーッと浮き上がる感じで。
文字だけの夢は初めてで、この夢を見た時、メッセージ性が強く、「描かなくては」とたつき諒さんは使命感にかられたそうです。
そして、表紙の空欄だった1コマに「大災害は2011年3月」と描くことになりました。
その12年後、
2011年3月11日、東日本大震災が発生。
この漫画は1999年7月に発売されているので…怖いくらいに夢の内容が当たっていますね。
その後、たつき諒さんは漫画家を引退されました。
⑫漫画「私の見た未来」の表紙 その1
1995年6月12日、「回忌」「なんて読む、どんな意味だ?」と書かれています。
回忌とは「亡くなった月日と同じ月日もしくはその日に近い日に、供養のために営む法事・法要」のことを指します。
この予言は現実に起こってしまったのかどうかはわかっていません。
⑬漫画「私の見た未来」の表紙 その2
1994年7月2日、ノートの角に「99年8月2日」と書かれています。
これははっきりと内容が書かれていないので、今のところ、わかるのはたつき諒さんご本人だけだと思います。
1999年8月2日には何があったのでしょうか?
たつき諒予言一覧ネタバレ|2025年7月に大災害!?
たつき諒さんの「私が見た未来」には、まだ起こっていない未来の予言が2つあると言われています。
♦富士山の噴火
♦神奈川県の大津波
♦新予言「2025年7月」に大災難
それぞれ解説していきます。
⑭富士山の噴火
1991年8月20日、「絵葉書みたいなきれいな富士山、雲がぶわーーと噴き出したと思ったら富士山が噴火したすごい音」という夢を見ます。
漫画「私が見た未来」の読者は、漫画の内容が『5年後や15年後に夢で見た内容が現実に起こっている傾向』があると考えられていて、
2021年8月20日に富士山が噴火するするのでは?と言われていたのですが、何も起こりませんでした。
※2021年8月20日という日付は読者がウワサしていただけで、たつき諒さんの発言ではありません。
富士山は活火山で、ここ300年程はガス抜きもなく、いつ噴火してもおかしくないと言われていますよね。
もし噴火が起こったとしても、起きた時期によっては予言と捉えるには無理があるかもしれないです。
大災害にならないようたまにガス抜きしてほしいですが、こればっかりは希望通りにはなりませんね。
⑮神奈川県への大津波
1981年6月から9月の間に何度もみた夢です。
6か9、96?の数字がつく時か、服装が半袖なので夏?に大津波に襲われるというもの。
夢の中のたつき諒さんは、異常な引き潮を目撃し、大津波に襲われ意識を失います。
目が覚めると時計が5時で停まっていて、
外へ出ると、歩道橋がありました。
歩道橋の先はなくなっていて、大きな船が3艘。
舟にわたる為の橋が渡してあるだけだった
という夢と見ます。
夢の中に現れた歩道橋は、たつき諒さんが知っている歩道橋と似ていて、当時住んでいた神奈川県横浜市の風景と似ていたということから、場所は横浜(神奈川県)辺りじゃないかと感じたそうです。
この予言は、関東大震災や南海トラフ巨大地震のことではないか?と言われています。
2025年7月新予言「私が見た未来 完全版」
2021年10月1日「私が見た未来 完全版」が発売されました。
「私が見た未来」が話題になっているということで、再度出版することになり、初めて担当者と打ち合わせをすることになったたつき諒さん。
打合せ当日の朝に夢をみます。
それは1999年と同じ、映画のスクリーンのような光景だったそうです。
「大災難は2025年7月」
2021年7月、たつき諒さんの見た夢は以下の通りです。
2025年7月に大災難が発生。
海が沸騰したお湯のようにボコボコとなり、
日本とフィリピンの中間地点あたりの海底破裂して噴火、隆起。
その影響で大津波が発生!
海底が噴火して隆起したことで、日本と香港や台湾、フィリピンまでもが地続きになる
というイメージの夢をみます。
この夢を見たたつき諒さんは、絶対にこの夢の話を追加して、「私の見た未来」を再度出版しよう、そう強く思ったそうです。
なぜならば、
東日本大震災が起こった後も、自分自身も地震のことで動揺していて、「大災害は2011年3月」という文字を漫画の表紙に描いたことなど忘れていたたつき諒さん。
震災があった後、昔描いた自分の漫画がネットで話題になっていると、親戚から教えてもらったことで、ようやくその内容を思い出したそうです。
そして、
『これがもっと話題になっていたら、助かる命がもっとあったのではないか?』という後悔にも似た気持ちがありました。
また、『話題作りや不安を感じさせるために意図したものではない』とアンビリバボーの取材に答えており、
『これは予言や予知だとは思っていないし、起こらないことが一番いい、災害が起きたときの備えになれば』
との思いで、「私の見た未来 完全版」に加筆したということです。
この夢を見たとき、
事前に準備していたことで、多くの人が助かり、復興に向かって生き生き暮らしているという明るいイメージ
も見え、どんなことがあっても乗り越えられるとたつき諒さんは感じたそうです。
この予言は「神奈川県の大津波」の予言と関連があるのでしょうか?
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東日本大震災の予言の件もあるので、「2025年7月」が過ぎるまではこの予言が頭から離れないと思います。
『夢が現実にならなければいい』と思いますが、
いつ起こるかわからない南海トラフ地震への警戒も含めて、防災意識を高めていきましょう!
たつき諒さんのこれまでの人生とアンビリバボーで紹介された新しい夢の話はこちら
まとめ
2022年4月7日フジテレビ系「アンビリーバボー」の取材では今まで一部しか公表されていなかった夢の記録のいくつかを初公開されるということです。
「私の見た未来」の読者には、大注目の番組内容ですね。
番組を見て、新しい情報があれば、こちらの記事を追記していきたいと思います。
「たつき諒予言一覧ネタバレ|15個の予言内容を解説!2025年7月に大災害!?」と題して、
たつき諒さんの漫画「私の見た未来」の15個+新予言の予言内容をお伝えさせていただきました。
最後までご覧いただきありがとうございました。